株式会社 流紋焼

カブシキカイシャ リュウモンヤキ
陶磁器製造業

事業概要

当社は、会津本郷焼の窯元として最大の規模を誇り、”土のもつ自然の心”を出来る限り失わずにとの願いを込めて創っています。特に流しぐすり釉に意をそそぎ、千数百度に熱せられた窯の中でうわぐすり釉が熔けて流れ、種々様々な紋様を描きます。それは、自然の事物に似て一つとして同じものはありません。一つ一つに豊かな個性があります。

  • 会津本郷焼の製造および販売
  • 配電用碍子の生産
  • 陶芸体験

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碍子工場の名残もあり基本的には一般的な工場です。ただ、流紋焼の運営においては焼き物のできる工程を工場見学という形でお客様にお見せしていますので、工場ではあるがお客様も立ち入り、いろいろと質問されたりもします。基本的にはものを作ることがお仕事ですので、当然のことながらその技術の向上に努めなければなりません。
もちろん指導は致します。ですのでお勤めいただいてから約2か月の間は、焼き物のできる工程すべてにタッチしていただき、焼き物がなぜできるのかを説明できることが最初の目標となります。製造機械との会話より働く人たちとお客様との会話優先の会社です。

企業情報

代表者
代表取締役 弓田 修司 (ユミタ シュウジ)
創業年月
明治33年5月
資本金
2,000万円
従業員数(男女比)
21名 / 男女比(1:1)
主な取引先
(株)香蘭社 / 那須電機鉄工(株) / 会津碍子(株) / 会津地内各ホテル旅館等 ほか
所在地
〒969-6152 福島県大沼郡会津美里町字川原町1933
TEL / FAX
0242-56-2221 / 0242-56-2221
E-mail
yumita@ryuumon.co.jp
URL
http://ryuumon.co.jp/

沿革

明治33年、配電用碍子のメーカーとして創業。その後美術工芸品の開発に成功し、会津本郷焼の窯元として流紋焼を設立する。

会津本郷焼とは・・・

会津本郷焼は、今から三百九十年前に蒲生氏郷(がもううじさと)公が現鶴ヶ城の改築の際に瓦を焼かせたのが起源であります。後の藩主保科正之の時代には茶道が盛んになり、その器物を焼かせるため美濃国瀬戸出身の水野、佐藤両陶工を招き、禄を与え良質の土を探していたところ、会津本郷に的場粘土を発見、更に数年後大久保陶石を発見したのでこれを主原料として良質の茶器、器、壺類を焼かせ、その品々を上納させておりました。後に藩主は会津本郷に奉行所を置き、藩の産業として力を入れておりましたが、奉行所の廃止により職人たちに残土、工具などを分け与えられたので、職人たちはそれぞれの窯を築き、焼き物作りを始めたのが窯元の始まりでございます。
会津本郷焼には、瓦焼の流れをくむ土物(陶器)と大久保陶石を原料とした石物(磁器)があります。石を原料とした焼き物は関東以北唯一の磁器の産地として有名です。会津本郷焼が全盛のときは、窯元の数が大小合わせて百十余もありました。毎日どこかの登り窯から煙が立ち昇らぬ日はなかったと言われております。会津本郷町は特に、急須、土瓶、目皿、花器が有名です。
急須は明治の末期に本郷の陶工が茶ごしの部分を発明し、急須の出の良いことで日本一の折紙付になったことはあまりにも有名です。
今日では民芸調の焼物として数多くの会津本郷焼のファンが訪れて居り、広く愛用されています。

はたらく先輩からのメッセージ

第一製造課 星 昇二

色々作り方を教えられ、いつの間にか何でも作れるようになりました。ただ、自分の努力も必要ですけど!

代表者メッセージ

代表取締役 弓田 修司

工場ですが、工房的な感じで運営したいと思っています。一般の会社のように就業規則等の定めはあるし、もちろん労働保険社会保険も完備してます。
ですが規則に縛られることなく自由に努力できるよう心がけております。まだまだ少ないですがここで修業し旅立った人もおります。自分の可能性を探りたい方お待ちしています。